
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
わたしも、このアニメの最後に流れる歌が、とっても好きだし。話しの内容も実話が元だけに、
とっても考え深いものがあり。よく福ちゃんと一緒に見ながら、いろいろと考えたりしてます。
愛する人がいながら、確実に死ぬと解かってて・・・好きな相手を送り出す側と。
愛する人がいながら、確実に死ぬと解かってて・・・好きな相手と別れを決意し飛び立つ側と。
その、どちら側の立場であっても、これ以上に辛く悲しいことは無いと想います。だけど・・・
このアニメのような出来事が、たった62年ほど前には現実にあったんですよね。
ザ・コックピット - 音速雷撃隊「桜花」 |
戦争って、人を狂わせてしまう要素もある反面。その真逆の真実の愛も存在してる。
なんだか・・・そんなモノを感じさせてくれるのが「戦争」に在る、別の側面なのかも知れません。
よく「愛のムチ」なんて言葉が、あるけれど・・・あれだって、相手を想うからこそ自分が憎まれてでも。
厳しいことを、あえて言ったりしてるんですものね。本当に愛してなかったら、できないことです。
リスクを自分が背負ってでも、守りたい!福ちゃんの代弁すると(笑)男性で、その想いが強い人なら。
特攻隊の気持ちは、理解できるんちゃうかって・・・わたしが男だったら、志願したかも知れないです。
自分が生き残るより。死んでもいいから愛する人たちが生き残るために、自分ができることやりたい。
その辺りって、性別は違うけれど。わたしも福ちゃんも似てるのかも知れないなぁ~
特に、2人の間では、どっちも自己犠牲は厭わず、相手に与えるのが当然みたいに想ってるので。
「お互いさま(^人^)だね♪」って想えて、陰日向になって支え合える相手と関係があることが幸せ。
その幸せを与えてくれる相手のためなら、ヤッパリ自分を投げ出してでも愛したいですもんね。
愛してることって。何も男女であっても、ピュアなモノだってあって当然だって想います。
純愛の方が、相手のことだって本当にヨク見えてくるし。解かり合える気がします。
どうしても色恋的な関係になってしまうと、横道に反れていったり。愛情より欲情の方が勝ってしまい。
自分の欲にも、相手の欲にも振り回されてしまって。ブレーキが、利きにくくなってしまいますからね。
戦争時の中での恋愛は、いまより重みがあったのかも知れないなぁ~って気がします。
きっと・・・男女ともに「操」を大切にしてた気がします。
【操】 みさお
(1)志を固めて変えないこと。節操。「固い―」 (2)特に、女性が純潔を守ること。貞操。「―を守る」
(1)精神的に上品で立派なこと。高雅なこと。また、そのさま。
(2)常に変わらないこと。志操が変わらないこと。また、そのさま。
人の心には目には見えない、そんな心の扉が2ツ付いています。
1ツは外側に開く窓です。そして、もぅ1ツは内側に開く窓です。
外側に開く窓を開けると・・・その窓からは、宇宙や世界や周りのことが、とってもヨク見えてきます。
そして、いま世の中では、どんなことが起きてるんだとか。そんなことが眺められます。
内側に開く窓を開くと、逆に自分のことが・・・いろいろと見えてきたりします。自分の気持ちや、
自分が感じていることを、ジックリと観察したいときは心の窓を内側に向けて開くといいですね。
外に開く窓ばっかり開いて内側に開く窓を閉じてると、人の言うことや。相手の表情ばっかりが
気になってしまって落ち着かなくなってしまうかも知れません。
逆に外側に開く窓を開けずに、内側に開く窓だけを開けていると・・・心に秘密を抱えて、
自分だけの世界に入り込んでしまいがちで、気が付くと独りぼっちになってたりするかも知れません。
どちらにしても、あまり居心地の良さそうな感じはしませんよね。だから、少しずつ閉じている窓を
開け放ってみましょう。家の中でも同じでしょ。締め切っていると風通しが悪くなって、不健康です。
そんなふうに心の窓も、少しずつ開くと、風通しがよくなって心が自由になっていけるものです。
心の扉・・・開いてますか? |
たまには外に向けて開いてみましょう・・・ |
心が自由になってくると、いままで気付かなかったことに気付くようになったり。知らなかったモノが、
見えてくるようになったりするものです。それは・・・心の中に空気が流れることで、心がいろいろと
感じ取れるようになっていくからなんですよね。心の中にも余裕が生まれてくるようにもなれる。
「秘密」には、2通りの「秘密」があるものです。1ツは、それを「秘密」にしとくことでワクワクするもの。
もぅ1ツは・・・その「秘密」を持っていることで、心が重く辛くなったり。苦しくなってきたりするもの。
それは、持ってる本人にも・・・そうだし。その「秘密」を打ち明けられた相手も同じことなんですよね。
わたしと福ちゃんは、言わないこと。聞かないこと・・・はあっても。「秘密」は持たないようにしています。
それは自分たちのことについてもですね。だから、自分が憑依体質でツインの相手が霊だってことも。
隠したりせずに、オープンにして・・・こうやって、ふたりでブログなんかも書いたりしてるんですが・・・
別に隠すことでもないですしね。ただ相手が、生きてる人じゃなくって死んだ人の霊魂だってだけです。
そんなことを隠したって仕方ない。わたしにとっては、生きてようが死んでようが関係ないんです。
ツインソウルの相手には変わりはないですから。ヽ(^ー^)ノ ・・・(笑)
この心が重くなる方の「秘密」を持ってる場合は、要注意!です。
相手のことも、よく考えて・・・打ち明けるようにしないと、後で誤解を招いたりしないとも限らないからです。
自分にとっては重要な「秘密」でも、打ち明けた相手によっては・・・そぉ想わない場合もあるかも知れない。
そんなときは・・・それを誰かにコッソリ話されてしまうかも知れないですからね。「秘密」の重さは人により、
違うってことも忘れてはダメです。本当は、その手の「秘密」を作らないのが、イチバンですけどね。
「オーラの泉」でも江原さんが、よくおっしゃってますが・・・
「経験と感動」は、「魂」の成長には欠かせないものでしょう。
しかし人が一生の間に経験できることというのは多いようで案外と、少ないのかも知れないと・・・
わたしたちは想っています。ましてや目の前の困難や苦難を避けてしまっていては、尚更です。
けれど、この2つを別の視点で捉えて分けて考えていくことができれば・・・
「感動」を得ることは・・・逆に、無限大なのかも知れません。
なぜなら・・・経験は自らが実際に行うことによってしか、得られないかも知れませんが・・・
「感動」に至っては自分自身の工夫次第によっては、いかようにも得られるチャンスがあり。
その中からもシッカリと気付きと学びは得られると想うし。実際そうだからです。
もちろん本当の意味で自分自身の「魂」(たましい)へとシッカリ刻み込まれていくためには、
「経験」と「感動」この、ふたつが・・・あってこそなのは、間違いありませんけれどもね。
「予習」という観点での学びは、可能だということです。
また誰よりも、自分の「心」を・・・ガンジガラメにしているのは当の本人だったりするものです。
それは自分の「心」の眼が、いつも「自分」を中心に周りを見ているからなのかも知れません。
とかく人は、自分のことばかりに心が向きがちですが・・・
本でも映画でも音楽でも芸術でも・・・いろいろと得られるものは見つけられます。
わたしたちが別途のブログで、「戦争」というテーマを元に投稿しているのも・・・
「真実」を知りたいという想いの他に、そうした中から「感動」を得ることによって
気付きと学びに繋がっていける確かなモノが、そこにはあるからです。
人は「心」という、見えないビンの中に自分自身を置き・・・周りを見てしまうと本当に、
自分にとって大事なことや。大切な相手を見失いがちです。でも「心」を外に向ける。
あなたの「心」の眼は・・・何処を向いてますか? |
つまり・・・自分以外の存在に眼を向ける事によって、自分自身を主観的にではなく。
客観的な観点から見ていくこともできるからです。つまりビンの外に出て、ビンを見る。
もっといえば・・・客観的精神で、自分のことも含めて捉えることができればなって・・・
わたしたちなりには、想ったりしているのですが・・・(*^_^*)
内側からばかり見ていては、そのビンが他と違うことばかりに眼がいきがちですが。
外から見る事によって、改めて、そのビンの欠点も良さも発見できるからです。
自分が想ってる自分自身なんて、思い込んでる部分の方が圧倒的で・・・
案外と隠れて見えない部分の方が、多かったりするかも知れません。
しゅかん‐てき〔シユクワン‐〕【主観的】
[形動]
1 表象・判断が、個々の人間や、人間間の心理的性質に依存しているさま。
2 自分ひとりのものの見方・感じ方によっているさま。「―な考え」
きゃっかん‐てき〔キヤククワン‐〕【客観的】
[形動]
1 主観または主体を離れて独立に存在するさま。
2 特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりするさま。「―な意見」「―に描写する」
きゃっかんてき‐せいしん〔キヤククワンテキ‐〕【客観的精神】
精神の発展段階で、主観的精神から絶対的精神へと展開する中間の段階に位置するもの。
具体的には法・道徳・人倫という諸形態で顕現する。
人にとって、その「愛」が「大我の愛」なのか「小我の愛」なのかで、
その相手との関係性も・・・変わってくるのかも知れないなぁ~と最近つくづく感じています。
そもそも、「大我の愛」や「小我の愛」とは・・・どういったものなのか・・・
わたしたちなりの、解釈と認識では・・・↓こんな感じです。(*^_^*)
「大我の愛」とは無償の「愛」・条件をつけない「愛」・見返りを期待しない「愛」で、
与えるだけで・・・ただ相手のすべてをひたすらに愛すること。
「小我の愛」とは嫉妬や束縛、また相手に「愛されたい」「愛してほしい」
「わかってほしい」・・・などといった、自己があっての上で愛すること。
自分自身では、相手のことをスゴク好きで愛している・・・としても。
その「愛」が、「小我」の領域であれば・・・相手にも、そんな波長でしか伝わらない気がします。
いえ逆に・・・「小我の愛」であれば、いくら相手を想っているといっても・・・その想いは愛情の
想いではなくて。想念のようものになってしまうからです。
また「大我の愛」で相手を愛していれば、その関係性だとか。その「愛」が成就するしない・・・
そんな類のモノに、悩み苦しむことも決してないばすです。関係が終わったとしてもです。
想いを引きずっていたり。なかなか立ち直れなかったりするのは、「小我の愛」だからです。
福ちゃんが、よく・・・「大我の愛」で愛せれば、「小我の愛」でも愛せるけれど。
「小我の愛」でしか愛せない人は、本当には・・・愛していると言えないのかも知れない。と
言ってました。わたしも・・・なんだか、そんな気がしてなりません。
本当に、その「愛」が「大我の愛」であるならば・・・相手が気付くとか。
気付かないとかなんて、関係なく相手に対して同じようにできなければウソになるでしょう。
口では「見返りなんか求めてない!」と言ってたとしても。後々まで引きずってしまうのは、
ソコに満たされない気持ちだとか。「〇〇だったのに・・・」などという、自己に立った見方。
つまり・・・自己満足や。自己中心的な要素が含まれてることが多いということだと想います。
その気持ちや想いが、相手側にあるものであれば・・・たとえ、自分が一生懸命やったことが、
受け入れられなかったり。認めてもらえなかったとしても。一生懸命にやったことに自分自身、
満足できるはずだからです。受け入れられない。認められない・・・は、あくまで結果です。
結果は自分独りによって、起きる場合もあれば。
相手がいることによって成り立つ場合も、あるのだということです。
どんなに好きな相手であっても、どれだけ愛していたとしても。相手は相手。自分とは違う。
自分が自分であるように・・・また相手も、自分とは違う人間だということに尽きるのです。
わたしと福ちゃんの関係でも、ツインソウルだとか。霊と霊媒って関係とかって以前に・・・
福ちゃんは福ちゃんで。わたしは、わたしだということです。それ以上でも以下でもないのです。
しかし「大我の愛」が良くて。「小我の愛」が悪いということでも・・・決してないとは想っています。
ただ・・・同じ愛するのであれば、自分自身・・・ドッチの「愛」が嬉しいかなぁ~と考えたら、
わたしたちは互いに「大我の愛」の方が、いちばん・・・嬉しいからかも知れないです。
互いに自分らしく在りたい!そぅ想うからこそ、わたしたちの間に在るのは「与え合う」だけ。
相手のために、自分ができることをする。ただ・・・それだけです。その結果、報われなくても
ソレはそれで、かまわない。結果は、どうあれ。気付く事は、多々あるからです。
その結果、自分自身の学びにも繋がっていくのだから・・・お互い様です。
持ちつ持たれつの関係が、わたしたちにとって・・・いちばん居心地が好く自分らしくいれる。
だから・・・わたしと福ちゃんの間には確認作業は必要ありません。相手のことを受け入れる。
ただ、それだけでいいんです。それは・・・本当に大切な存在だから。そんな気がします。
その中の数々の真実と向き合いながら、「愛と平和」について僕らなりに学んできています。
今日の8月15日は「終戦記念日」というものを記念日的なものとしてではなく、改めて「平和や愛」を
独り独りが、いまいちど真剣に考えていける日になっていければ、この国も変わるのかも知れない。
桜散る、日本の今へ。(硫黄島からの手紙より) |
人は失って、はじめて気付く・・・そんな過ちを何度も何度も繰り返してきています。
ソレは個であっても公であっても国であっても、変わらない・・・そんな気さえしてしまう。
これから、「A requiem」の方で・・・もっともっと、いままで真剣に向き合わなかった「真実」と
あえて取り組んでいくことによって、いままで気付けずに過ごしてきたモノを僕らなりに学びたい。
人には、時として守らなくてはならないゆえに手放さなくてはならないものがある・・・
その究極のものが、この「戦争」の中には本当に多く隠されていて存在しているからです。
目を覆い耳を塞ぎ口を告ぐんで、いいものと。いけないものがあるならば・・・「戦争」は、
明らかに後者と言えるだろう。語ることも必要ならば、また知ることも必要であり。
それは、この国に生まれた者としての・・・ある意味では責務にも似たものがある。
なぜなら、「真実」を知らなくては先が見えてこないからだ。この国の未来は、ここから
始まっているのだから・・・いや、この国だけでは決してない。もはや日本だけの問題ではないだろう。

♥このブログのカテゴリー♥
♥最新記事♥最新2日分にはnew
【ブログ内検索】

♥最古記事♥2007.2.1~ ふたりのプロフは→コチラにあります←
♥月別です・・・(*^^*)♥ ( ^^)人(^^ )で投稿してます♥
↓は日々更新中…あしからず。福



+主催している署名活動+
|
|
|
|
日々の中から自他を見詰める |
|
|
|
戦争などを通じて愛と平和を |
|
|
|
ハイヤーセルフとのことなどはココ。 |
|
↓投稿はENDしてるブログ↓ |
|
|
|
ソウルメイト関連や心や依存など。 |
|
|
|
動画専用の趣味ブログです。 |
|
♥CTぁりがとぅ~♪ヾ(^Д^*)ノ♥
♥TBぁりがとぅ~♪ヾ(^Д^*)ノ♥
♥☆無料占いモンキー☆♥
♥☆無料 解析結果☆♥ ♥あなたの名前を入力してね♥
|
|
|
|
|
♥いろんな分析&占いコーナー♥