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しゃ り し ぜしょほうくうそう ふしょうふめつ
舎利子 是諸法空相 不生不滅
ふく ふじょう ふぞうふげん
不垢不浄 不増不減
上記の「不増不減」について、もう少し簡潔に
で、お話ししていきましょう。
※下の図を、見てわかるように…
![]() |
水は海で蒸発して雲になり、そして雨となります。
降った雨は、地下にしみこんだり、川に集まって、また、海にそそがれていきます。
このように水は、自然の中で、めぐりめぐって、もとに返り、これをくりかえします。
このように、水は循環しているのです。
「不増不減」というものも、
このようなものだと思えばイメージしやすいですね。
例えば…「欲しくなる」「憎い」「可愛い」…
そうしたことを、想う精神(心)上の出来事が、
肉体という「色」に作用していくことは、理解できたかと思います。
その人の精神も、物質もと精神も、物質も…すべては「因縁」により構成されているのです。
「因縁」の「因」とは
(物質が起こったり変化する、その基となっているもののことです。)をさします。
また「縁」は、つながりであり、めぐりあわせであり、
それ自体が互いに影響しあう、物事の「命」です。
宇宙に存在する一切のもの「森羅万象」は、「実体」がない「空」の性質そのものです。
ですから、もともと生じたということもないですし。滅したということもないのです。
人は生死というと、「生」は生きていることを。
「死」は死んでしまったことをイメージしがちです。
しかし生と死は、つねに一体となっているのです。生と死が連続しているのが、「生命」です。
しかし実際は連続といっても、変化しているだけということでもあります。
「空」には何度もいうように「実体」がありません。
ですから汚れることもなければ、きれいということもないのです。
増えることもなければ、減ることもなく。それは「魂」そのものにも、いえることなのです。
しゃ り し しき ふ い くう くう ふ い しき しき そく ぜ くう
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
くうそくぜしき じゅそうぎょうしき やく ぶ にょ ぜ
空即是色 受想行識 亦復如是


この図のように、コップの水の中に…
ひとつまみの塩を入れたとイメージしてみたください。
入れた塩のカタチは消えていきますが、しかしそれは無数の分子となって
拡散していき、水は「しょっぱい」水になっていきます。
これと同様に、自分の姿が消滅したとしても
宇宙全体に溶け込んでいくのです。
阿弥陀の智慧のように、空間にも時間にも満ちている。
このような境地が、すなわち…「空」なのです。
阿弥陀の智慧というのは限りなく展開していくような、智慧のことです。
阿弥陀の智慧というのは、こういうものだといった枠を持っているのではなくて、
浄土を開いてくるような、つまり、改めて浄土を問うような縁のことですね。
あらゆる存在は空である
しゃ り し しき ふ い くう くう ふ い しき しき そく ぜ くう
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
くうそくぜしき じゅそうぎょうしき やく ぶ にょ ぜ
空即是色 受想行識 亦復如是
数字の0に似ている「空」(くう)の観念
人が目にする物や現象は、すべて「空」なのです。
それは、本当はそれぞれには「実体」というものが無いからです。
しかし「実体」が無いことを「空」とはいうものの、「空」だからこそ物が存在し。
また現象となって現れているのです。
「空」とは「実体」が無いので、固定されたものではなくて、常に変化していくものなのです。
それは生じては変化しながら消滅し。消滅しながら生じるという変化を繰り返します。
例えば…「空」を数字の「0」だとするならば、
そしてその「実体」が仮に「空気」のようなモノであったとすれば…
「0」や「空気」という存在には、普段ソレが、あるということには気付かないけれども。
もし無ければ数の数式を成り立たせることができなくなり。
また、人の命も危険にさらされてしまうことになってしまうのです。
「存在」や「現象」は、そうした「空」と同じであるように人間が心身で受けている
「楽しい」「苦しい」「痛い」といったような感受性は
実は、「実体」などというものは、なく。「空」だということです。
また、「心」に思い浮かぶ言葉やイメージ。
好きとか嫌いといった想い。「これやってみよう」というような意志。
さらには眼・耳・鼻・舌・身・意といったような
人間が持っている器官のすべてにも「実体」などなく、「空」だということです。
例えば…この経から読めば…
「色即是空 空即是色 色不異空 空不異色」
色と空が同じと表現します。つまり、それは…
色に思えていても、それは空でもあるし…空に思えていても、それは色でもある…
生という誕生があれば、滅という死というものがあります。
また愛するという想いの反対には、憎しみという感情があり。
人より先に○○をしたい!という想いは「後先」を考えていたり。
あの人よりも金持ちになりたいと頑張る、その根底には…
「貧富」ということで価値を考えている気持ちがあったりします。
前の彼女は美人だったのに…とか想う「心」の内側には、
「美醜」という価値観基準が、あるからにすぎないのです。
あの人の考えは自分と同じだから、あの人の話しを聞こうと思う。
その根底にあるのは「善悪」といった、判断基準だったりします。
ソレは自分が好きか嫌いかによっても、決まってきたりもします。
「貧富」「善悪」「上下」「大小」「長短」「美醜」「貴賎」「後先」「勝敗」「好悪」
そうしたモノには、必ず(反対)があるのです。
そのような「欲望」などでもある【六煩悩】にしても、
実は常に【六波羅蜜】と背中合わせなのだということです。
つまり、どんな苦しみの中にも
必ず悟りへと繋がるカギがあり。
また逆に、満たされるモノであっても、度が超えてしまえは…
それは【六煩悩】を生み出してしまう
根源にもなってしまうのです。
自分自身の「心」の中も…実は対極しているのです。
【六波羅▼蜜/六度】(ろくはらみつ/ろっぱらみつ)とは…
菩薩が涅槃(ねはん)の世界に入るために修める六つの行。
【六煩悩】(ろくぼんのう)とは…「欲」すなわち煩悩のことです。
そして、大きく分けると次の六つになるそうです。
【六波羅▼蜜/六度】布施(ふせ) ⇔ 【六煩悩】愚痴(ぐち)
一.布施(ふせ)【六波羅▼蜜/六度】
この身体の力の限りを尽くし、他人のために尽くす。
魂と魂との触れ合いによって生じる心の底からの行為。
これは別に金品に限らない。恩などの見返りを望むものでもない。
一.愚痴(ぐち)【六煩悩】
道理のわからないこと。智慧(ちえ)の無が根になっている。
【六波羅▼蜜/六度】持戒(じかい) ⇔ 【六煩悩】慳貪(けんどん)
二.持戒(じかい)【六波羅▼蜜/六度】
人としての徳を磨く。
人のものを盗まない、嘘をつかない、真実にそむいた、
たくみに飾った言葉をいわない、怒らない、よこしまな考えをしない、などなど。
二.慳貪(けんどん)【六煩悩】
惜しみ貧る精神。
【六波羅▼蜜/六度】忍辱(にんにく) ⇔ 【六煩悩】放逸(ほういつ)
三.忍辱(にんにく)【六波羅▼蜜/六度】
自分の心を傷つけられることを、悲しまない、怒らない、意気消沈しない、
失望しない、堪え忍ぶこと。争うな、恨むな、ただ人を愛せよ。
三.放逸(ほういつ)【六煩悩】
勝手気ままな節制のない精神。
【六波羅▼蜜/六度】精進(しょうじん) ⇔ 【六煩悩】瞋恚(しんに)
四.精進(しょうじん)【六波羅▼蜜/六度】
怠慢にならず、ただひたすらと目的に向かって進むこと。
四.瞋恚(しんに)【六煩悩】
腹を立てたりやけを起こすこと。
【六波羅▼蜜/六度】禅定(ぜんじょう) ⇔ 【六煩悩】懈怠(けだい)
五.禅定(ぜんじょう)【六波羅▼蜜/六度】
世の中をつまらないと思う自分の心がつまらない。
自分の心を立ち返って、静かに落ち着き心を静める時を持つ。
五.懈怠(けだい)【六煩悩】
なまけ、怠る精神。
【六波羅▼蜜/六度】智慧(ちえ) ⇔ 【六煩悩】散乱(さくらん)
六.智慧(ちえ)【六波羅▼蜜/六度】
インドの古い言葉で般若。
布施、持戒、忍辱、精進、禅定の根元の心の働き。
これらを悟り、迷いを除き、真理を悟った智慧のこと。
六.散乱(さくらん)【六煩悩】
心が乱れること。

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